ホームタウンの会 2000年8月9日例会 | |
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長谷川さんは,大阪市役所で公務員をしていた。一般事務から福祉広場何まで,何でもやった。そんな長谷川さんがサラーリマン生活をやめ,第2の人生を考えたのが10年前。最初からコンサートホールを造ろうと考えていたわけではない。夫婦二人の生活。こんな生活で良いのかな?誰でも想うほんの少しの疑問であった。 長谷川さんの奥さんはその昔喫茶店を経んでいたことがあった。田舎町の(といっても信州とは違うと思うが)小さな喫茶店。安くて美味しい喫茶店は都市化の流れとともに厳しい時代を迎えお店をたたみ普通の主婦になったそうである。(というか長谷川さんに出会って夫婦になった?)「そんな夫婦二人が空気の綺麗で山に近い場所に住まいを兼ねた喫茶店を開きたい。」そんな夢だったのかもしれない。 それから始めた土地探し。有給休暇を利用した気軽な旅であった(が真剣)。信州ばかりではなかった様である。人里外れた場所でなく,地方都市に近く都市生活も楽しめて一方で自然豊かな点では,土地探しに訪れた信州安曇野は長谷川夫婦さんとっての本当に良い場所だったようである。一方でペンションや小さな喫茶店,美術館併設の喫茶室の多い街でもあった。「普通の喫茶店では客が集まりにくい。ピアノでも置いてサロン風に。」たまたま訪れた喫茶店での地元の声楽家海野さんとの雑談がきっかけだったのであろうか?「何故ピアノだったのか?昔の事で忘れてしまった。」いずれにせよ,多くの人達との出会いからそんな話しが始まった様である。 良いピアノはないかと探していたところ4年前に新大阪駅近くのショールームで,リストが愛したピアノとして有名なオーストラリアの名器 ベーゼンドルファ に出会う。ポーン!と押した奥様が人目惚れした。一千万以上したが惜しいと思わなかった。即座に注文。退職金と住まいを売り払って得られるであろう金額。現実を思ってそろばんをはじく自分と,開店したピアノのあるお店の様子を想い描く自分が共存していた。なんとかなるさ!困難な夢を達成する喜びの中にいたのかもしれない。 あのピアノを置いた小さなお店をと,全国の土地を求めて5年間。契約寸前まで行ったこともあるが,最後に流れた事もあったという。その間ベーゼンドルファは浜松のピアノセンターに預けたままであった。本当にそんなことできるのか?職場の皆に夢を公言し,そのための休暇だと言って休む。夫婦で決めたことなのに諦める諦めないで奥様とけんかをしたこともあった。平坦な道ではなかったという。それを支えてくれたのが出会いであったという。 出会いは,一方で色々な事をもたらした。そんな名器を置くのに普通の造りでは駄目だという声。そして土地を探しながら多くの出会い。長い年月は当初の想いを大きく変更させるコンサートホールという形へ。しかも,本格的で一流の音響設備を備えた本格的なホールへと大化けした。信州にも年に何度も有給休暇を取って足を運び,音楽の盛んな松本にも近く早春賦の歌碑にも近くわさび畑脇の現在の場所にたどり着くことが出来た。そして,建築事務所や工務店さんとの交渉。入札という形はとりはしたが,最終的には本当に工務店さんに良くして頂き,予想をはるかに越える破格の値段でホールを完成させることが出来たとの事である。 熱烈な音楽好きと言う訳でもなく,予想もしない展開にも関わらず,夢を実現する過程での多くの出会いによりコンサートホールの音響設計を取り入れた100人収容の小さなコンサートホールが実現でき,実現してからも,いつのまにかスタッフや仲間が恵まれ色々な形のコンサートに利用されるホールを完成させることが出来たのであった。ベーゼンドルファの会社の方や音響設計会社そして設計事務所や工務店さん,長年訪れた間に出会った多くの人に感謝したいという。 途中の出会いは必ずしも良いものばかりでは無かったが,5年の年月を超えてのお付き合いは,良い関係の人達だけが残るという幸運を呼び,今は本当によい仲間に囲まれてホール運営ができるようになったとのことである。夢を念じて数年。退職金と前の家を売却しただけでは賄えなかった金銭的な面もある事はあるが,そういう不安を超越した喜びを持つことが出来,その間の巡り合いが今後の不安を払拭させてくれるほど大きな物になって残っていることが幸せであると笑顔で語るのであった。そして,オープン以降も沢山の出会いが楽しいとのこと。 35年の勤続表彰・西暦2000年・早期退職制度適応と3つの節目が重なったのを機に奈良県の住居を引き払い,今春の建物完成を待って穂高町に移住,過日東京芸大の安井氏を迎えてこけら落とし記念コンサートを行ったあずみ野コンサートホールの長谷川館長の話でした。「いずれは音楽を学ぶ人が育つホールになって欲しい」と最後を結んだ。 地域のイベントのソフトボール大会にも積極的に参加し,地域に根ざして地元の喫茶室・地元のホールになって欲しいと関西弁交じりで話された,小さな夢を想いの他大きな形で実現した長谷川さんのお話しでした。 |
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(情報交換コーナ) 当日は,久しぶりに萩元晴彦さんもお見えになり, 例会終わりの情報交換タイムで 9月に開催予定の萩元晴彦ホームタウンコンサート新シリーズ についてご紹介頂きました。 |
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