2004年1月20日(火)
NHK「イブニング信州」でホールが紹介。
県内の多くの方々、ホール関係者の皆さんに見ていただきました

20日のゴールデンタイムの、夕刻6時40分頃から約10分近くにわたり、あづみ野コンサートホールでのコンサートの模様と、私を取材された映像も紹介されました。
あいにくと私は見逃したのですが、会員さんを始め箕輪町や佐久町の方々からTVを見ましたと、お電話をいただきました。
ことのほか反響も大きく、多くの方にホールを知っていただくことが出来ました。心から感謝したいと思います。
この件については、昨年の11月28日の「中国琵琶の妖精 楊 静安曇野リサイタル」、12月20日の「クリスマス アジッド・ジャズスーパーセッション」もあずみ野テレビさんが取材されたもので、地域に情報の発信を頂いている地元のケーブルテレビさんが、今回のようにNHKさんを通して、長野県全域の多くの方たちに穂高町の私どものホールを紹介していただいたこと、改めて感謝いたしますと共に多くの方々のご支援の賜物と御礼を申し上げます。

思い返せば、2000年のミレミアムの年、35年勤続と、55歳の早期退職という節目の年に、ホールをオープンしまして4年目に入りました。
多くの方たちの温かいご支援を頂き、順調にホールの方もご利用頂き、素晴らしい演奏家との出会いもさることながら、何百人、いや何千人という方たちと出会い、嬉しいこと、悲しいこと等多くの経験をさせていただきました。
浅い付き合いでは分からないその人の人間性から、辛い別れも何度か経験いたしました。
でも、それはほんの一握りのことであり、それらを挽回するだけの温かい心の触れ合いのほうがはるかに多いということです。
真剣にホールの将来を考えていただいてる会員さんや、色々とホールに欠いている機材等を寄付していただいたり、本当に良い出会いを与えていただいた方々に感謝せざるを得ません。

音楽に対する専門知識もないままに、決して採算の取れるような音楽ホールを始めたのも何かの因縁のようなものを感じます。
公務員のまま定年を終えていたら、このような温かい出会いに恵まれたでしょうか。
経済的に豊かに暮らしていて本当の幸せを得られるでしょうか。
でも、ホールを退職金、自宅の売却金を当て、それに多額の借金をしてまで、このような仕事を選ぶのに大変な勇気がいったでしょうねとよく質問されました。
でも、不思議と先の心配など全くせずに運命というべき赤い糸に操られるように事は運びました。
4年目を迎えたホールは殊のほか厳しい現実に直面しています。
今年の予約状況はオープン以来の最低の状況です。

でも、くじけていても仕方ありません。自分たちが選んだ道です。
毎日を明るく、健康でありさえすれば自ずと道は開ける筈です。
大丈夫、私たちには素晴らしい仲間たちとという宝物があります。
人生という道のりも平坦で変化のない道は、歩き甲斐はありません、高い山も一歩から、山あり谷あり変化を楽しみながらこれから先を乗り切ってゆきたいと思います
これを読んでいただいた皆さん、今後ともホールの応援をお願いいたしますと共に、これからの素敵なコンサートに是非、ご家族をはじめ知人、友人の皆さまをお誘い合わせの上、お越し下さい。

私たちのとりえは、明かるい笑顔で皆様をお迎えできることです。
初めての方も、喜んで歓迎いたしますのでよろしくお願いいたします。
館長日記、今回は恥ずかしいほどまじめな文面になりました。
拙い文章を最後まで読んでいただいた方に感謝いたしいます。
長谷川芳治