2004年12月25日
誰の手を煩わすことなく、急逝したお隣のおじいちゃんの死を悼む。
そして、またも不思議な因縁というか、思わぬ出会いに感動しました・・・・・・
毎朝、単車に乗って元気に買い物に出かけれるお隣のおじいちゃんは、今年80歳。22日の日は、晴れの良いお天気、多少の冷え込みはあったものの、冬として穏やかな天候でした。いつもどおり、元気に単車に乗り買い物に出かけ、再び一時間後には、その帰る姿を、きょうも喫茶の窓越しに眺めていました。

ところが、夜の7時過ぎ頃でしょうか、救急車のサイレンの鳴る音が聞えると、はてな、何処かなと見るとお隣ではありませんか。誰か怪我でもしたのかなと、心配して駆けつけると、なんと、あの元気で単車に乗った姿のおじいちゃんなのです。どうしたのかというと、救急隊の見立てでは死後硬直が始まっており、死亡後、かなりの時間が経過しているとのことです。これでは、搬送出来ないということになり、救急車に代わり、パトカーがやってきました。変死扱いとなり、当直医の診察となり、おじいちゃんの元気な単車での行き帰りをみていた、私ども宅にも事情聴取にやってきました。かなり遅い時間までかかったようでした。結局は、買い物から帰ってお昼のしたし、昼食を半分ほどいただいた、午後1時頃に脳出血で倒れられ、そのまま亡くなられたそうです。これが本当に大往生だなと、つくづく感じました。苦しみも少なく、病後のリハビリで苦労することなく、家族にも介護の手を煩わすことなく、見事な死に方でした。

こちらでの葬儀の進め方が少し変わっていて、葬儀の前に火葬に賦して、当日はお骨を祭壇に置くそうです。全国的にはどうかの確信は出来ませんが、普通は納棺後、お通夜を済ませ、葬儀のあと、出棺を親族等が霊柩車まで運んで、参列にきて頂いた方等に見守られて、火葬場に向かうのです。地方においても、最近のお葬儀は式場でやることが多くなり、ご遺族の方、隣組の方も比較的楽になり、その点では良かったといえましょう。さて、葬儀はつつがな曹洞宗の導師を含む5名で豪華に執り行われました。亡くなられたおじいちゃんの几帳面さを、喪主さんが読まれた文面を聞いて、思わず涙を誘われました。ただ、不謹慎でかもしれませんが、喪主の御礼の挨拶の時に、バックの音楽が「アベ・マリア」であることが、仏式のお葬儀の中、和洋折衷が何とも滑稽さと親しみを感じたのは、私だけでしたでしょうか。葬儀が親族等にて執り行われる中、私どもといえば子供もいない上に、親族等もほとんど無い状態を考えると、いざというときのことを考えておかないと駄目だなあと、痛感させられました。そのために生前葬をすることも妙案かもしれません。特に私達のような仕事をしているものにとっては。

ところで、お隣の葬儀で帰ってこられた、喪主の妹さんのご主人が、新聞記者ということ、これはなんら特別なことは無いのですが、その取材でピアニストの久元祐子さんのご主人の職場に、取材を通じて家族的に親しくされていることが、喫茶室においている著書、CDを見てわかったのです。世間は本当に狭いですね。でも、これで久元祐子さんとは、一段と縁が深いと私自身が勝手に思い込んだ、悲しみと、感激に満ちたこの日この頃でした。

ちなみに、お葬儀等を全て済ませた、翌日の26日には朝から今冬はじめてに雪が舞い、天国への導いている雪のように感じました、全てが真っ白ということを・・・。
長谷川芳治
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