今、日本でショパンの演奏で最も感銘を受けるピアニスト言えば、高橋多佳子こそが傑出していると思うのは私達だけであろうか、いや彼女の演奏を聴くとショパンの悲しみ、苦悩する姿、喜びあふれる姿が浮かんでくるし、曲目によっては不思議と涙を誘う。そんな演奏が出来るのもショパンについて、深く研究をショパンの生まれ故郷であるワルシャワに長年滞在していたことも深く関係している。CDシリーズ「ショパンの旅路」も完結し、今まさにその集大成を「ショパンの39歳の生涯」というタイトルで演奏会を重ねている。
ショパンは繊細な神経の持ち主であったことは確かなようだ。彼の名曲といわれる作品の数々は、いづれも彼が精神的に苦悩する悲しみにある中とか、恋に落ちて最高の幸せと、喜び溢れる中とかで生まれている。彼が人一倍に繊細さと感受性の強い人物を象徴しているように思われる。
今回のコンサートもショパンが7歳のときに始めて作曲したといわれる「ボロネーズ ト短調遺作」を始め、ポーランドでの革命が起こり、ロシア軍に国を制圧されたときにショパンのやり場のない絶望と孤独の中、ピアノを攻撃するかのように激しい曲「革命」、パリでの華やかな社交界の中で生活をしていたいちばん幸せなときに作られた「華麗なる円舞曲」、そしてサンドとの出会いから療養のために訪ねた「マジョルカ島」で、かえって体調が最悪の生活の中で不安と苦悩に満ちた中で作曲された言われるショパンの最高傑作の一つ24の前奏曲「雨だれ」、1842年夏にドラクロワと親しくなり、お互いの芸術を尊敬し合うとともに、その彼との出会いがショパンに大きな影響をもたらしといわれる。その時に作曲されたスケルツォ4番の最高傑作。
1831年ごろ。 ショパンはポーランドをはなれ、パリへと向かおうとしていた。その後ポーランドに戻る事はなかった。ショパンが祖国を離れた後、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアに領土を侵略され陥落してしまう。それをドイツの地で聞いたショパンは、大変ショックを受けていた。その報を聞き、精神状態は狂乱していた。そんな中で作曲された曲。映画「戦場のピアニスト」の中でも演奏された「バラード1番」は、高橋多佳子が弾くと、今にもそのシーンが映し出される。それほど彼女の見事なタッチとショパンがのり移ったかのように演奏されている。先の「革命」と同時期に作曲されている。
ショパンと最愛のサンドとの仲がいよいよ最悪となり、決定的な衝突、そして、別れからの悲しみから生まれた「舟歌」は最後の最高傑作であり、白鳥の歌である。死の直前、息も絶え絶えの中から最後の力を出し切るかのように生まれた「マズルカへ短調」・・・・・
このショパンの生涯を高橋多佳子は、本当に見事なまで語り演奏してくれた。感動のコンサートの2時間はあっと言う間に終えてしまい、聴くものの心をしっかりととらえてしまう。それほど彼女の演奏の見事さは私のような素人でも感じることができる。それほど演奏に集中する精神力は凄いの一語に尽きる。
2005年、つまり来年の4月ホールが五周年としての記念コンサート、春の特別企画に高橋多佳子のその円熟した演奏が聴ける幸せを感じるとともに、この小さなホールで素敵な笑顔と絶妙なトークを交えながらのコンサートが開催出来る喜びを今から楽しみにしている。
今年もチケットはコンサートの一ヶ月前に完売してしまったので、お早目の予約を入れていただけると嬉しく思います
いつも拙い文章を最後まで読んでいただいている皆さんに、心から感謝申し上げます。
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