私達がこの安曇野穂高に移り住んで、この5月で満5年目を迎えたことは皆様もご存知のことと思います。2000年に大阪市を退職して以来、ホールには後輩や同僚は何度となく遊びに来てくれました。ところが退職に際し本当に良くしていただいた先輩方がほとんどお越しになっていませんでした。
しかし、17日の三連休の初日に突如電話がありました。「今、大町にいるんだけど、まっちゃんのことをふと思い出したんだよ」「1時間くらいしか時間がないのだけど顔を見に行くわ!」とのことです。突然の電話でしたので、喜びを感じるまもなく「何時に穂高に着くの?迎えに行くわ」と11時06分着の電車に来る先輩夫妻を迎えに行くことになりました。私が昭和40年4月、大阪市の東住吉区の福祉事務所に就職したしたときの先輩に当たりますが、私が転勤等を繰り返ししていましたので、何年振りかの再会になります。ところが、駅に到着しその先輩を待ちましたが、何か顎鬚を伸ばし少し痩せ気味の老人風の方が立っていましたが、なんとなく「先輩ではないな」と、ついつい見過ごしてしまいました。しかし、彼以外にほかにそれらしき人がいないものっで。「ひろっちゃん!」と、髭ずらの方に声をかけましたら、そしたらやっぱり先輩でした。少し痩せていて昔のイメージからすると風貌が変わっていましたが、しっかり見ると間違いなく先輩でした。余り時間がないということなので、早春賦歌碑前に行き、オルゴールを鳴らして「早春賦」が静まり返った河原に響き、安曇野の雰囲気を少しばかり味わって頂き、ホールのお連れしました。その車中で「今まで誰彼が来たのかな」と話をしていると、ホールにその車中で噂をしていた後輩の彼の姿が何と見えるではありませんか。奥さんも一緒です!!「あれ!彼だよ」と驚くやら巡りあわせというか、何年かぶりに立ち寄った小1時間の間に久振りに訪ねてきた先輩と、後輩がこの時間に出会うという確率は何万分の1ともいえるでしょう。ほんの短い滞在のひとときでしたが、先輩も後輩も充実した時間をコーヒーを飲みながら語り合いました。駅までお送りし今度はゆっくりと訪ねてくれるよう約束し、一路大阪に向かう車窓の人となりました。一方、後輩は夕食も一緒し、自宅に一泊し翌日早朝にお別れしました
三連休の初日に思いがけないハプニングに出合い、人との結びつきの深さを身をもって味わいました。縁のある人は出合い、そうでない人は知らずと消え去る、これが人生かなとつくづく感じた1日でした。
この館長に日記を始めて読んでいただいた皆様とも出会いがありますように、そしていつも読んでいただいて温かく私達をご支援を頂いている皆様には、これからも出来れば末永いお付き合いをいただきますよう心からお願い申し上げます。
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