2004年7月1日
昨年も、今年も、ご難続きのツバメたちと、いたずら雀(スズメ)たち
ホールの開館前からツバメたちの巣作りと、雛の成長と巣立ちを楽しみにしてきたのだが、昨年あたりからなんだか様子が変化してきた。
2000年には3羽が巣立ち、翌年も4羽と3羽がかえり順調そのものであった。開館の初年度は百舌に2度目の雛4羽が飛び立ちの寸前に襲われ、大きなショックを受けたものである。

昨年は巣立った家族が帰ってきてくれたものの、農薬?の散布された虫等を食べたせいか分からないが、子作りの最中に親ツバメのオスかメスか定かでないが、巣の中に雛を抱き様な格好をしていて動かないのを不振に思い、手を触れたところ死んでいるのが分かり、またまた大きなショックを覚えた。
相方を失ったツバメが、やもめになったのか後家さんにさんになったか、しばらくは家族達が巣の周辺を飛び回っている知る姿を見ていると、余計に悲しくなった。
亡くなって、すぐに後添えが出来るわけでもなく、昨年はとうとう巣立ちを見ることが出来なかった。
そんな寂しい一年であり、ツバメが来てくれるということはその家が栄えるという意味があることも聞いていたし、残念であり、私達のようにお客さんを相手にしている仕事からして、余計に先行きに不安も多少覚えたものである。
死んだツバメは丁重に埋葬してあげたが、その場所にカタクリの花が咲いたのも、むなしく死んだツバメを思い出すきっかけになったものだ。
その亡くなったツバメの巣を雀が目をつけて子作りをし、何羽かが巣立った。ツバメと違い雀はやたらに、ゴミ等を巣に持ち運び雛達の姿は一切見せないし、ナイロン、鳥の羽根等を巣の中に入り切れない位に、ゴミの館を創り出す始末だ。とにかく毎日掃除をしないと巣の下はゴミだらけだ。本当に困った雀達だ。

さて、今年といえば昨年亡くなったツバメもめでたく彼氏?彼女?を伴い帰京してくれた。嬉しいと思うのはツバメをやさしく迎えるものとっては当たり前のことだ。
しかし、何てことだ。昨年ツバメたちが作った占拠した巣を私達が壊したのに、今年、またツバメたちが丹精込めた巣を完成させたのに、生んだツバメの卵を、雀がいたづら?、嫌がらせ?いけずか?壊してしまったではないか。
これは、昨年ツバメの巣をのっとって雛を返した良い思いと素敵な邸宅を、今年も味をしめたの行動なのだ。
仕方なく、ツバメも縁起が悪いのか、その巣を諦めたのか、また同じ軒下に巣を完成させたのである。
ところが、なんていうことだ今度は3個の卵を壊してしまったではないか!
雀の子作りは順調に進んでいるというのに、なんて意地悪なスズメどもだ。一層巣を壊してやろうかと思ったが余計な殺生はしないほうがいいかと思いとどまった。

その後、ツバメたちはそれにも懲りずに子作りをしようと、新しい巣に雛を温めているような仕草をしているので、良かったと思いながら雛の還るのを待ちわびていた。
ホールの来るお客さんも、和やかな光景に巣立ちが楽しみだねと声をかけてくれることが嬉しかった。
でも、ある日突然にツバメが巣に寄らず電線に止まり、巣の周囲を飛び回っているではないか。
不思議に思い、巣の中を手鏡で覗いたところ、卵らしきものも無くて、またショックを受けた、何故、どうして・・・・・・・
二度も、雀に卵を壊されて卵を産む力が残っていなかったのかも知れない。
昨年は、親鳥がなくなるという悲しい思いをしたのに、今年は雀たちの思わぬ悪行のために、二年続きのツバメのご難に悲しさを通り越して、なんだか憤りすら覚えた
これからどうしたら良いかと思案をしながらも、鳥達の世界も人間社会と同様に、いじめがり、嫌がらせがあり、厳しいことは確かだ。生きてゆくためのひとつの手段なのかもしれない。

さて、ツバメたちはこれからどうなるのやら、続きは今後の観察に基づいて書いてみたいと思う。

占拠され雛達のいない寂しい新居

占拠した雀のゴミの館
長谷川芳治